
藤堂高虎と言えば、戦国時代の城づくりの名手で、秀吉、家康の天下統一を城づくりで支えた人物。
「歴史探偵」の内容に調べたことを追記して再編集します。
1556年、高虎誕生
近江の地、現在の滋賀県甲良町で誕生。
体格が非常によく、男性の平均身長155-160cmの時代に、高虎は身長190cm、体重110-120kgだったといわれる。
転職7回、8人の主君に仕える
高虎は人生を通じて、7回主君を変えている。計8人。
1人目は浅井長政。
1570年、姉川の戦い(織田・徳川vs浅井・朝倉)で初陣を飾り、父と共に武功を挙げる。
1573年、小谷城の戦いで信長に敗れ、浅井家滅亡。
2人目の主君は、浅井氏の旧臣、阿閉貞征(あつじ さだゆき)。
同僚を殺害してしまい浪人となる。
3人目、同じく浅井氏旧臣の磯野員昌(いその かずまさ)、4人目、津田信澄(つだ のぶずみ)は長続きせず。
5人目の君主、運命を変えた羽柴秀長との出会い
1576年、高虎、二十歳の頃出会ったのが、5人目の主君、羽柴秀吉の弟、秀長。
当時、秀吉は織田家の重臣で、近江に長浜城を築いていた。
そこで秀長に出会って取り立てられたと推察される。
近江の国は石垣がもっとも発達した地域。
野面積み(のづらづみ)は、自然石を加工せずそのまま積み上げる手法。
熟練の石垣職人、「穴太衆(あのうしゅう)」が、設計し積み上げていく。
高虎は近江の地で石垣の技術を習得したと推察される。
鳥取城攻め。実戦で築城木術を学ぶ
1581年、秀吉、鳥取城(毛利家)攻め。
開戦時、秀長と高虎が2-3万の兵を引き連れて浜から上陸したとある。
空からレーダーで計測すると、秀吉の本陣跡は広く平らに削られ、山の斜面に階段状の平地が無数につくられている。
階段状の地形は大軍が山の中に寝泊まりしていた証拠。
土橋と呼ばれる細い尾根や、700m以上の空堀で、本陣を防衛。
最終的に、敵方は降伏、秀吉は勝利する。
このように、実戦を通じて、築城術を身に着けた高虎。
1589年頃、三重県・熊野にある赤木城を手がける。
当時はまだ珍しかった3-4mの高い石垣を設置。
道を何重にも曲げたり、崖を配置したり、敵が一気に攻めあがれない設計。
さらに、石垣をのぼろうとする敵を討ち取るため横矢掛かりを設置。
高虎の高い技術が見える。
豊臣家の栄枯盛衰
1590年、秀吉天下統一。
しかし、翌年、1591年、高虎の主君、秀長が病死してしまう。
その後、秀長の跡継ぎ、秀保(主君6人目)も早世。
高虎はショックのあまり高野山に出家する。
秀吉に呼び戻されて(7人目)仕え、慶長の役で武功を上げる。
1598年、秀吉病死。
高虎40代半ば、徳川家康に最後の転職
20年以上仕えた豊臣家を離れ、徳川家康(君主8人目)に接近していく。
高虎はかつて秀長と家康の取り次ぎ役をしており、良好な関係を築いていたのだ。
1600年、関ケ原の戦いで徳川側につく。
恩賞として、愛媛県、今治城を与えられる。
今治は大阪・神戸、九州を見渡せる瀬戸内海の要衝。
しかも、福島、加藤など豊臣恩顧の武将に睨みを利かせる重要な位置だった。
徳川の城づくり、今治城
今治城は砂地の上に築かれた。
高さ13mの石垣(野面積み)を支えるための基礎(犬走り)を固めてからその上に建設。
海水を引き入れて三重の堀をつくり、堀の中に港を設置。
軍船を保有できる海城とした。
今治城の天守は、京都・亀山城に移築したという伝承がある。
関ケ原の後、大阪の豊臣を取り囲むように城を整備した家康。
今治城の天守を京都に引っ越しさせた説があるのだ。
高虎が開発した「層塔型天守」は分解と組み立てが簡単で、有事の際、短期間で城を作れる。
木の乾燥に何年もかかるため、当時、部材を解体して組み直すのは当たり前だった。
上野城で、高さ30m、打込み接ぎの石垣を築く
豊臣包囲網の一環として、今治から伊賀伊勢に国替えとなった高虎。
三重県・上野城の大改修に取り組む。
上野城はもともと豊臣の城だったので、天守は東側に設置。
尾張三河、東に睨みを聞かせていた。
しかし、今は徳川の城。
西の豊臣を見張るので、西側に天守を建設。
上野城の石垣は野面積みから、加工した石を積む、打込み接ぎ(うちこみはぎ)で築かれた。
この技法だと熟練した職人じゃなくても組めるメリットがあるし、高く積める。
石垣の高さは30m。当時日本一だった。

平和な時代の城づくり
1615年、大坂の陣、豊臣滅亡。
家康、臨終の際の言葉は
「私が死んだ後、国に一大事が起きたら先陣は高虎に任せよ」
高虎に絶大な信頼をおいていたことがわかる。
乱世が終了し、天下太平の時代に高虎が築いた城は三重県、津城。
高虎最後の居城。
発掘調査で見つかったのは、大量の、高虎入城前の富田家の瓦だった。
高虎は天守を建て替えなかったということ。
石垣は元の石垣を利用して、増築。
城は、戦ではなく、執務中心の利用になるので、資金投入は最低限。
城よりも、未来の城下町づくりに資金を集中した。
津の城下町を経済発展させる
津の城下町を経済的な中核にするべく、伊勢に行く途中、津を通るように、伊勢街道を敷き直す。
さらに、津から伊勢別街道、伊賀街道を敷き、津をジャンクション化。
高虎晩年は、戦いで培った技術を公共事業に用いた。
さらに、産業振興のため、伊勢木綿の生産を奨励。
伊勢街道を通じて日本全国に広まった。
名城をつくってきた高虎は、最後は人々の豊かさのため国づくりに注力した。
戦国時代は突出した個人が活躍したが、江戸時代は幕府など組織の時代。
天才が引っ張る世の中から組織の力で平和な世の中を維持する時代へ。
豊臣のオーダーメイドの天守から、部材を再利用しやすい効率的な天守へ。
わたしの感想
高虎の、常に未来を見据える冷静な眼差し、柔軟に変化していく姿勢が印象的です。
2026年大河ドラマの主人公は豊臣秀長。
高虎の出番も多くなりそうです。
藤堂高虎役はマッチョ俳優(?)佳久創さん。
ぴったりの役柄ですね。


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