
おとなり韓国のことをわたしは何もわかってなかった。
学校では習ったときの自分の歴史観や想像力は相当未熟だったと痛感します。
番組で知った韓国現代史、メモしておきます。
あらすじ
戦後の韓国では17回にわたり戒厳令が出された。
番組公式サイト
1960年にはイ・スンマン政権の打倒を掲げる学生らに警官隊が発砲、全国主要都市に戒厳令が出された。
軍事クーデターで政権を掌握したパク・チョンヒは戒厳令を使って人々の思想と文化を弾圧した。
1980年には、戒厳令下の光州で民主化を求める市民に軍が発砲。
市民も銃を手に取り応戦し、多くの命が奪われた。
韓国人作家、ハン・ガン
2024年アジアの女性作家がはじめてノーベル賞を受賞。
彼女の名は韓国人作家、ハン・ガン(韓江)。
このとき韓国では戒厳令が出された直後だった。
「武力や強圧で言論を統制する過去の状況に戻らないことを切に願っています」
ハンガン、ノーベル賞スピーチ
韓国の主な民主化運動
戦後の韓国では17回にわたって戒厳令が出されている。
戒厳令とは、国家の非常時に大統領が軍隊を動員して、社会秩序を維持する緊急措置。
しかし、その多くは民主化を求める人々を弾圧する手段として使われてきた。
1960年4月、四月革命
イ・スンマン(李承晩)政権打倒を掲げる若者らに警官が発砲。
全国主要都市に戒厳令発布。
1961年5月 5・16軍事クーデター
政権を掌握したのは、陸軍少将、パク・チョンヒ(朴正煕)。
戒厳令を使って人々の文化と思想を弾圧。
男性の長髪、女性のミニスカートを禁止。
1980年5月 光州事件
戒厳令のなか民主化を求める人々に軍が発砲し、多くの命が奪われた事件。
市民も銃を手に取り、10日間に及び戦った。
2024年12月3日 非常戒厳令宣布
ときの大統領ユン・ソンニョルが、突然の戒厳令。
6時間で解除されたものの、人々の悪夢の記憶がよみがえって大規模デモに進展。
これほど壮絶な民族の苦闘を見せる歴史は世界でも稀ではないだろうか。
番組ナレーション
自由を手にするための歴史が韓国の人々の精神となっている。
100年に及ぶ戦いの記録。
日韓併合、三・一独立運動
1897年、中国の支配から独立し、大韓帝国を建国。
しかし、1910年、日本政府は朝鮮半島に朝鮮総督府を設置し、武断政治をおこなう(日韓併合)。
言論や集会の自由は奪われた。
1919年3月1日、日本から独立する宣言をおこなう(三・一独立運動)。
独立万歳を叫びながら市内を行進する運動が、朝鮮半島全土に広がるも、日本は武力で鎮圧。
無理に強行したる併合、
当時の朝鮮軍司令官・宇都宮太郎
これは納得せざる婦女と無理やり結婚するが如し。
甚だ誤れり。
大韓民国臨時政府
1919年4月、中国・上海にて大韓民国臨時政府が樹立。
中心人物はイ・スンマン(李承晩)。
民衆の激しい抵抗にあい、文化政治に切り替えた日本。
朝鮮語の新聞や出版物の発行を許可する。
映画製作が始まったのもこの頃。
韓国映画は抑圧への抵抗から始まった
1926年に公開された映画『アリラン』に人々は熱狂する。
主人公の若者が、村人を苦しめていた日本人の手先を殺害してしまう。
連行される若者を見送りながら、村人が歌ったのが「アリラン」という曲。
以後、この歌は抗日運動の象徴となる。
韓国の映画製作は、抑圧に抵抗する人々の気持ちを代弁することから始まった。
日中戦争と皇民化政策
中国への領土拡大を目指す日本。
その重要な足掛かりとなる朝鮮半島で、鉄道など大規模なインフラ整備をおこなう。
1937年、日中戦争が勃発すると、皇民化政策を実施。
朝鮮語の禁止、創氏改名、神社参拝など日本文化を無理やり押し付ける。
さらに、1943年、朝鮮でも徴兵制を実施。
日本の戦争に巻き込まれる。
第二次大戦後の南北分断
1945年8月、ソ連が朝鮮北部に進駐。
35年に及ぶ日本の支配からの解放してくれたスターリンに人々は熱狂する。
スターリンの支持を受け、抗日ゲリラ、キム・イルソン(金日成)が指導者の座に就く。
一方、南朝鮮にはアメリカが軍政を敷く。
1948年8月、大韓民国政府が樹立。
1910年代から独立運動をおこなっていたイ・スンマン(李承晩)が初代大統領に就任する。
12年に及ぶイ・スンマン独裁体制、そして四月革命
イ・スンマンは日本に強硬的な外交政策を実施。
国際法に反して勝手に海域を設定し、日本漁船を拿捕する(李承晩ライン)。
日韓は緊張関係に。
イ・スンマンは大統領任期4回、12年にわたり政権を維持。
事実上の独裁体制となっていた。
しかし、1960年、票数の改ざんなど選挙の大規模な不正行為が発覚。
自由と民主主義の実現を期待していた国民の不満が噴出。
反政府闘争に発展し、大規模なデモになる(四月革命)。
警察は無差別に発砲。
1960年4月19日、イ・スンマン、戒厳令を宣布。
しかし事態は収まらず辞任に追い込まれる。
パク・チョンヒ(朴正煕)の軍事クーデター
1961年5月、陸軍少将、パク・チョンヒが陸軍を率いて、ソウルに進軍。
革命を掲げて政権掌握する。
この時代、朝鮮戦争で国土は荒廃し、韓国は世界最貧国のひとつとなっていた。
その頃、北朝鮮のキム・イルソン(金日成)はチョルリマ(千里馬)運動を展開。
労働者にノルマ以上の生産を課すことで、経済成長しようとしていた。
北の経済成長は脅威となる。
朴正煕が頼ったのは日本の岸信介だった。
パク・チョンヒと岸信介の蜜月
ふたりの共通点は満州。
満州時代、岸は商工省の要職を歴任し、経済政策を実施した。
パク・チョンヒは日本名、高木正雄を名乗って、満州国軍で任務についていた。
1961年11月、日韓国交正常化交渉開始。
パク・チョンヒと岸はこれがはじめての対面だったが、すぐさま意気投合する。
これまでの交渉では、韓国は植民地支配の賠償を求める請求権を主張しており、
難色を示す日本と平行線が続いていたが、ここにきてパク・チョンヒは譲歩。
「請求権とは言わないで、何か適当な名義でも結構である」
これを受けて日本は経済協力という名目で資金援助を決定。
もちろん橋渡しは岸信介。
「自分たち若い陸軍の軍人が革命に立ち上がったのは救国の念に燃えたから。
パクチョンヒ
その際、日本の明治維新の志士を思い浮かべた。」
「国民が拍手喝采するような条約をつくろうという気持ちなら
岸信介
真の正常化はできない。
しかし百年後にはよかったと思えるような
先を見通すつもりで取り組むなら話は別。
現在の国民感情に迎合するつもりではだめですよ」
ハンガン(漢江)の奇跡
1965年6月22日、日本の首相官邸に韓国国歌が流れる。
両国は日韓基本条約に調印。
国交正常化が成立。
韓国は、日本からの資金で高速道路、ダム、韓国初の製鉄所などを建設する。
同じ頃、共産主義一掃を目指す国際勝共連合を設立した、ムン・ソンミョン(文鮮明)。
統一教会教祖である。
ムンは日本でも勝共連合を設立。
その発起人には岸信介も名を連ねる。
1970年、岸は韓国から勲章を授与されるまでに韓国に貢献した。
(個人注)2022年、岸信介の孫・安倍晋三銃撃事件を思い出します。
日韓正常化以降10年で、国内総生産13倍、経済成長率11%を達成。
ソウルの中央を流れる大河の名前から「ハンガン(漢江)の奇跡」と呼ばれた。
パク・チョンヒの文化統制
1972年10月、パクチョンヒが突如戒厳令を出し、憲法改正。
長期政権を合法化する法律を通す。
さらに、当時世界的に流行していた男性の長髪、女性のスカート膝上17センチ以上を禁止。
ギターを没収されることも。
若者のファッションを反政府的な風潮として厳しく取り締まる。
文化は統制されるも、反共作品は奨励され、仮想敵キムイルソンを打倒するような映画は製作された。
18年にわたる独裁体制崩壊
1979年10月26日、パク・チョンヒはKCIA(韓国の情報機関)部長に暗殺された。
18年にわたる独裁が終了した。
「目的は自由民主主義を回復し
暗殺犯、KCIA部長
国民が犠牲になるのを防ぐことでした
決して大統領になるためではありません」
ソウルの春と光州事件
1979年10月27日、戒厳令が発令されるも、民主化を裏切られ続けた民衆はデモを敢行(ソウルの春)。
活動家キム・デジュン(金大中)に期待が集まる。
キム・デジュンの基盤である光州では、戒厳令に反対する学生がデモを繰り返していた。
パク・チョンヒ亡き後、国軍保安司令官、チョン・ドゥファン(全斗煥)が政権を操っていた。
1980年5月17日、戒厳令のレベルを上げ、全国に拡大。
キム・デジュンを逮捕し、政治活動禁止。
大学封鎖まで強行。
光州では抗議デモが過激化。
大学を封鎖する軍と学生らが衝突。
チョン・ドゥファンは武力での制圧を命令する。
1980年5月18ー27日の10日間、市民vs軍の戦いがおこなわれた(光州事件)。
5月21日、午後1時、軍は市民に無差別一斉射撃した。
当時、新聞やテレビの報道は厳しく統制されていたため、国民が知ることはなかった。
この事件は、のちに多くの映画や小説の題材となった。
「市民の遺体が多くなるにつれ、死についての怖さもなくなりました。
戒厳令に抗議する市民
死ぬことはたいしたことじゃない。
自分の死を恐れなくなったんです」
5月27日未明、軍はヘリや戦車を動員して掃討作戦を実行。
抵抗すれば射殺した。
軍は民間人の死者144人と発表したが、実際はその数倍とも言われる。
キム・デジュンは暴動を扇動した罪で死刑判決を受ける。
全斗煥の軍事政権と止まない怒り
大統領になったチョン・ドゥファン(全斗煥)は国民の関心を政治から逸らす戦略をおこなった。
1982年プロ野球開幕、1988年にはソウル五輪開催も決定。
軍事政権韓国のイメージアップをはかった。
しかし、1987年、民主化運動にかかわった学生運動家が取り調べ中に警察の拷問で死亡したが発覚。
この事件がまたもや国民感情を刺激し、デモに発展する。
デモを取り締まる機動隊の催涙弾が、学生の頭を直撃。
その学生の出身地は光州。
7年前の光州事件の怒りの火は消えていなかった。
26日後死亡すると葬儀に100万人が集まった。
1987年6月、30万を超える人々が闘争に加わり、政権を打倒する。
国民が大統領を選ぶ権利を勝ち取り、その年末、大統領直接選挙が実現した。
金大中とエンタメ政策
1998年、光州事件で死刑判決を受けていた金大中が大統領に就任。
当時、韓国はアジア通貨危機で深刻な経済危機に陥っていた。
新たな産業の創生が急務だった。
「ジュラシックパークやタイタニックのような映画が
金大中
我が国三大自動車会社より高い収益をあげている事実は
文化産業の価値の高さを改めて気づかせてくれるのです」
金大中は、映画、アニメ、ドラマを国の中核産業に位置づけ、巨額の国家予算を投じる。
また、表現の自由を最大限確保した。
作品の題材は自国の歴史の中に無数にあった。
自分たちの苦難の歴史をテーマにした作品を制作し、産業を飛躍的に発展させることに成功。
映画監督パク・チャヌク
(映画『JSA』『オールドボーイ』『別れる決心』監督)
「韓国の現代史は私たちをとても苦しめました。
多くの試練と苦難を経験しながら
人々は鍛えられ映画人も成長しました。
だからこそ情緒深い成熟した作品がたくさんうまれた。
歴史の激動のなかで生きる人の
感動とエネルギーが爆発し噴き出ているのです」
朴槿恵(パク・クネ)の4年
2013年、34年前に暗殺されたパク・チョンヒの娘、朴槿恵(パク・クネ)がアジア初の女性大統領に就任。
しかし翌年、セウォル号沈没事故(修学旅行の学生含む300人が死亡)が起こる。
そのとき政府の危機管理能力の無能が露見し、支持率急落。
さらに、クネの友人の国政介入も発覚し、抗議デモに発展。
2017年、大統領弾劾成立、罷免された。
父と同じく、任期を全うできなかった。
記憶に新しい2024年の戒厳令
2024年12月3日、ユン・ソンニョル(尹錫悦)大統領が非常戒厳令を発布。
1979年、全斗煥が発令して以来45年ぶり。
6時間後解除されたものの、人々は光州事件の惨劇を想起。
国民の怒りは収まらず、大統領罷免に至る。
光州事件を風化させない
ノーベル賞作家ハン・ガンは光州出身。
『少年が来る』は光州事件で亡くなった少年をモデルにした作品だ。
「人間の残酷性と尊厳が同時に存在していた時空間を光州と呼ぶとき
『光州』はもはや都市を表す言葉ではなく
時間と空間を超え、絶えず私たちに問いかけてくる言葉なのです」
わたしの感想
韓国は、1980年代後半までガチの軍事政権が続いていて、文化的にもかなり抑圧されていたんですね。
第二次大戦後の歴史だけ見ても、そして現在でも、抗議デモが繰り返されています。
北朝鮮に隣接しているから、常に臨戦態勢。
徴兵制もあるし、軍事色はなかなか払拭できないかもしれません。
韓国エンタメ産業の盛り上がりと、骨太な現代史が密接にかかわっていることがわかって、納得しました。
番組内でもしばしば引用された、2000年公開映画『JSA』は日本でも話題になりました。
南北分断をテーマにした作品で、映像クオリティが高くて驚いた記憶があります。
『光州5・18』(2007年)、『タクシー運転⼿ 〜約束は海を越えて〜』(2018年)は光州事件を扱う映画として引用されていました。
番組には出てきませんでしたが、2023年公開映画『ソウルの春』は話題になりました。
第一次韓流ブームの火付け役「冬のソナタ」は2002年。
近年話題になった「愛の不時着」「パラサイト」、K-POPなど、韓国コンテンツパワーは年々存在感を増しています。
多くの犠牲の上にようやく民主化を実現した民衆が、積もり積もった怒りや祈りを糧に強烈な作品を生み出し、世界を巻き込んだうねりとなっています。
余談ですが
韓国人の名前の表記が揺れていますが、私の不徳の致すところです。
個人的には「パクチョンヒ」より「朴正煕」、「キムデジュン」より「金大中」の方がしっくりくるお年頃なので、ブレて統一できず。
番組ではカタカナメインでした。
教科書でも今はそうなっているのでしょうか。
あと、岸信介と韓国の結びつきは不気味でした。
番組ではさらりと取り上げていましたが、もっと言いたいことがあるような演出でした。
わかる人にはわかるのでしょう。


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