
この番組は、日本の隣人である台湾が、過去130年間にわたり経験してきた激動の歴史と、それによって刻まれた深い傷痕、そして現在の繁栄に至るまでの道のりを描いたドキュメンタリー。
1895年~日本の植民地
物語は、半世紀に及ぶ日本の植民地統治時代から始まる。
日清戦争の結果、台湾は日本に割譲され、1895年から日本の植民地に。
日本は東洋一の用水路を整備し、短期間で米やサトウキビの増産に成功。
さらに台湾の豊富な鉱物資源を活用して日本は繁栄する。
当時、台湾の人口の大半は漢民族。
清朝(満州系女真族の政権)の弾圧から逃れてききた人も多数。
山岳地帯には「高砂族(日本が命名)」と呼ばれる民族が伝統的な暮らしを営んでいた。
1937年、日中戦争が始まると、同化政策を強化。
名前を日本風に改めることを奨励するなど皇民化政策を実施。
1944年、台湾の若者も徴兵の対象になる。
この頃、のちに「台湾民主化の父」と呼ばれることになる李登輝(日本名:岩里政男)は京都帝国大学在学中、学徒動員。
千葉の陸軍高射学校に配属されている。
中国人でも日本人でもない「アジアの孤児」
その頃、台湾人作家・呉濁流は、日本支配を嫌って中国大陸に渡ったものの、大陸の人々は冷たかった。
台湾人は日本のスパイと疑われる。
戦争になると日本人も台湾人を信用しない。
さながら台湾は「アジアの孤児」
台湾人が複雑な立場に置かれていることを知る。
1945年~蒋介石率いる国民党の統治
その後、1945年、日本降伏。
蒋介石率いる国民党・中華民国は第二次大戦の勝者となり、台湾を統治下に置く。
日本から解放された台湾人は拍手喝采で祖国からやってくる軍隊を出迎えた。
しかし、期待は失望に変わる。
大陸から来た軍人は日本人が残した家屋や工場を接収。
しばしば横領も働いた。
大陸から来た人を「外省人」、もともと台湾に住んでいた人を「本省人」と区別。
外省人が優越的地位に。
一方、日本語しか話せない本省人は失業したり登用されなかったり。
本省人は日本の植民地時代に奴隷化教育を受けているから再教育が必要、と虐げられる。
二・二八事件と戒厳令
1947年、闇タバコの摘発時、警察官の威嚇発砲が無関係の本省人に被弾、死亡する事件が発生(二・二八事件)
この事件をきっかけに民衆の怒りが爆発。
大規模なデモに発展する。
8日後、増援部隊が大陸からやってきて、抵抗する大多数の市民を殺戮した。
大陸での国共内戦
中国本土では、蒋介石率いる国民党と、毛沢東率いる共産党が戦争していた。
国民党は大国アメリカの支持を受けるも、共産党の猛攻に遭い多くの領土を失う。
戦局が不利になった国民党は、台湾にも厳しい戒厳令を敷き、共産党を排除。
言論や集会の自由を奪う「白色テロ」の時代が訪れる。
国民党敗北、逃亡
1949年、中国共産党は中華人民共和国を建国。
2か月後、国共内戦に敗れた国民党は、100万人の外省人と共に台湾へ逃れる。
当時のアメリカ大統領トルーマンは、国民党に失望。
今後、台湾に軍事援助しない、と声明発表。
しかし、すぐに朝鮮戦争が勃発。
台湾は、台湾海峡監視のための重要な軍事拠点。
アメリカは台湾への軍事援助続行を決定する。
蒋介石、命拾い。
1951年、サンフランシスコ講和会議にて、日本は独立を回復する。
しかし、その植民地だった台湾は会議にも招かれず、その立場も曖昧なまま据え置かれる。
毛沢東にとって、台湾は中国統一を阻む、喉元の棘。
台湾併合の足掛かりとして、1958年、福建省、金門島に攻撃開始。
諸外国は共存を呼びかけるも両国は聞く耳持たず。
以後20年間、緊張状態に(台湾海峡危機)
国民党も必死
1958年、大陸での毛沢東の大躍進政策が失敗。
国民党は、ここぞとばかりに大陸で投降を呼びかけるビラを大量散布。
台湾に亡命してきた者を「反共義士」と褒めたたえたり、投降した者に報酬を与えた。
さらに、北京から運んだ宝物を一般公開することで、国民党こそ中華文化の守護者を世界に向けてアピール。
ちょうど同じ頃、大陸では文化大革命で宝物は破壊されていた。
実戦さながらの軍事演習を続行。
臨戦態勢を崩さない姿勢を続けた。
しかし、1964年、共産党中国、核実験成功の報が舞い込む。
焦った蒋介石は、核配備前に決着をつけるべく翌年攻撃するも失敗。
軍艦2隻を失い、200人戦死する結果に。
国民党の「大陸反攻」は滞っていたが、経済は大躍進していた。
外国企業の下請けや、本省人の経営する中小企業が成長。
政府は、経済開発への投資を積極的におこなっていく。
孤立する台湾
1971年、アメリカ大統領ニクソンが、中華人民共和国を訪問。
当時の最高権力者は周恩来。
米中接近の機運。
国連は、中華人民共和国に代表権を与える決議。
すなわち、台湾を追放することを意味した。
憤懣やるかたない台湾代表は、採決に先立ちその場から退室。
1972年、日中国交正常化。
(当時の日本の総理大臣は田中角栄。外相は大平正芳)
すなわち台湾との国交断絶を意味した。
1975年、蒋介石死去。
1979年、アメリカからも断交を告げられる。
「アジアの孤児」
日本植民地時代に生まれた言葉が再燃。
国際社会のなかで孤立し、居場所を失った台湾。
それでも希望を失わず、独自の生存戦略を模索する。
民主化のうねり
蒋介石の息子、蔣経国は、父から継いだ独裁に固執した。
戒厳令、言論封鎖を続ける国民党政府に対して、民衆の不信感がいよいよ限界。
民衆は長年タブーとされてきた二・二八事件(国民党による大虐殺)の記憶を語り始める。
さらに外省人からも不満が噴出。
強引に大陸から連れてこられて40年、退役軍人に。
故郷に帰りたくても帰れない不満がたまっていた。
1987年、40年ぶりに戒厳令が解除された。
大陸の親族訪問も解禁に。
「家は消え、知らない人が住んでいた。
親戚も子供の頃の友達もだれひとりいなかった。
かつての故郷の景色はもう夢の中でしか見ることができない」
李登輝の時代
1988年、蔣経国が死去。
副総統だった李登輝が後継者に。
本省人がはじめてトップに立った。
民主化の大きなうねり。
1990年、政治改革と民主的な選挙を求めて大規模な学生デモが起こる。
李登輝は改革派であり、対話路線を採った。
1996年、はじめての直接選挙を実施。
民衆が総統に選んだのは李登輝だった。
台湾の守り神、TSMC
30年で3倍に成長した経済規模。
2023年、APEC(アジア太平洋経済協力)の会議に、蔡英文総統の代理で出席したのは、TSMC創業者モリス・チャン。
TSMCは半導体の世界シェア6割。
1987年、政府主導で設立した企業が、リーディングカンパニーに上り詰めた。
「台湾の守り神」と呼ばれる。
我々は多くの挫折と屈辱を味わった。
元経済大臣の言葉
これからできることは、どれだけ国際情勢が変化しようと、高度な経済発展を続けていくこと。
それこそが台湾存亡の鍵となる。
台湾と国交がある国は12か国。
しかし、貿易相手は190か国。
国際的な地位を確立している。
呉濁流の50年前の言葉
「歴史は決して悲観する必要はない。
人間の社会はゆがめられた政治のために
犠牲にされた幾多の人間が下敷きになって
はじめて前進する。
しまいにはかならず
人類の望む明るい方向に流れていく。」


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