
高層ビルをかすめるように降下する飛行機、魔窟と呼ばれた巨大スラム、数千の水上生活者の船。
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中国本土で戦乱や危機が起こる度、無数の人々が逃げ込み、香港のカオスを作り上げた。
イギリスによる植民地統治のルールは「自由」。
しかしそれは、いつか中国に返還される「期限付きの自由」だった。
ある作家は「借り物の場所、借り物の時間」と呼んだ。
巨大国家・中国の存在におびえながら、束の間の自由を追い続けた人々の記録。
中国系作家ハン・スーインの言葉
香港は、借り物の場所、借り物の時間の中で
不可解な共存を作り上げてきた。
1840年代からイギリス統治
アヘン戦争(1840-1842)で敗北した清朝がイギリスに香港島を割譲。
1997年まで150年以上にわたってイギリスの植民地となった香港。
太平洋戦争中の3年8カ月は日本が統治したが、戦後はイギリスに統治が再開する。
1949年、中国大陸には共産党政権、中華人民共和国が成立。
香港人は中国共産党による奪還に怯えるも、攻撃されず。
その代わり、混乱の中国大陸から大量の難民、財産没収を恐れた上海の資産家が香港に流入。
中国から大量の難民
結果、香港は人口4倍に増加。
しかし難民への社会保障はおこなわれず。
イギリスの香港統治のコンセプトは「レッセフェール(自由放任)」。
儲けるのも自由、野垂れ死ぬのも自由。
魔窟、巨大スラム、数千の水上生活者。
100万ドルの夜景。
東洋と西洋、前近代と近代が交錯する香港の誕生。
結果、格差が増大。
1%の白人が富を独占した。
香港うまれのブルース・リー
1950年頃、香港生まれのブルース・リー、子役から芸能生活。
東洋人と西洋人の血を引くリーは、アイデンティティに悩んでいた。
13歳でカンフーに入門。
師匠イップマン(中国から移住してきた武術の達人)の影響で、東洋思想にのめりこむ。
さらなる難民流入
1962年、1日1000人ペースで中国から難民が押し寄せた。
共産党の大躍進政策が失敗。
大飢饉が起こっていた。
このとき香港政府は強制送還。
送り返される難民に同情し、香港人は生活物資を援助した。
この頃、密航船に乗った12歳の少年ジミー・ライ。のちの大富豪。
裕福な家庭だったため、共産党中国では人民の敵と追放され、一家離散、香港に亡命した。
九龍城砦
不法移民が住み着いた場所は九龍城砦だった。
1970年まで中国が領土を主張していたため、香港警察も立ち入れず、治外法権。
犯罪組織の巣窟と化していた。
やがて、工場地帯に変貌。
自由放任の無法地帯で、移民のパワーが爆発。
産業が発展した。
1967年、香港にも「毛沢東思想万歳」のポスター掲出が始まる。
この頃、大陸では文化大革命がスタート。
香港で親中派が暴動を起こし、香港警察が鎮圧する事態に。
しのびよる中国支配に怯え、大勢の人が香港から流出した。
中国人とは違う「香港人」としてのアイデンティティが芽生え始める。
ブルース・リー、アメリカへ
18歳で渡米したリー。
東洋思想をカンフーのなかに見出す。
一見弱そうで硬いものすら砕く「水」。
「水になれ」は生涯の哲学となった。
『ドラゴン危機一髪』 『「燃えよドラゴン』など映画4本で一躍世界的なスーパスターになった。
しかし、1973年、32歳で急死。
ネガティブな東洋人のイメージを変えた、はじめての香港ヒーローだった。
国際金融都市に変貌
「東洋の真珠」と呼ばれ、劇的な経済成長を遂げた香港。
国際金融都市に成長した。
同時に、犯罪組織など裏社会も成長。
1975年にはエリザベス女王訪問時には歓迎。
大英帝国の一員というアイデンティティも芽生えていた。
1982年、返還まで15年に迫った年、イギリス首相サッチャーが北京、鄧小平を訪問。
1997年香港全土の返還に加えて、「一国二制度」を取り決める。
ジミー・ライと民主化の動き
その頃、イギリス系企業に代わって中国系企業が台頭してきた。
香港に亡命したジミー・ライは、アパレル企業ジョルダノを立ち上げ、軌道に乗せていく。
自由を守るあらゆる制度のおかげで才能を開花。
1989年、中国・天安門広場で中国学生が民主化を求める大規模なデモをおこなう。
香港人は、中国の民主化に大いに期待した。
ジャッキー・チェンをはじめ、チョウユンファ、アンディラウなど名立たる香港スターが民主化運動を支援。
大富豪となったジミーも民主化運動を支援した。
天安門事件
しかし、同年6月4日、人民解放軍が武力行使、市民300人以上が死亡。
香港人は大きなショックを受ける。
中国共産党は民主化運動家を続々逮捕。
このとき指名手配となった学生の国外逃亡に手を貸したのは香港マフィア、中国マフィアだった。
香港からの亡命者が増加した。
30万人がイギリス、カナダなどに転居。
しかし大富豪ジミーは中国政府への敵対姿勢を緩めることはなかった。
アパレルだけでなく出版業も開始。新聞『アップルデイリー』を創刊。
中国返還後の香港
1997年、155年のイギリス統治が終わり、中国に返還された。
返還後50年間と取り決めた一国二制度は守られず。
中国は香港選挙に介入、民主派議員を追放した。
中国共産党トップ、習近平は「一国」を強調。
2019年、逃亡犯条例改正案が提出されると、香港の自治を奪うものとして大規模なデモに発展。
ジミーの新聞は中国批判をやめなかった。
2020年、ジミー・ライ逮捕。
『アップルデイリー』廃刊。
現在も裁判中だ。
香港人を鼓舞するブルース・リーの名言
心を空にせよ
型を捨て、形をなくせ
水のように
「水になれ」は柔軟に敵をかわす戦法。
中国政府に怯えて暮らす香港人に今なお響いている。


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